『「河童」を知れば日本の古代史がわかる』 ( No.17 ) |
- 日時: 2003/05/08 17:37
- 名前: ちんじゅう
- 文芸社『「河童」を知れば日本の古代史がわかる』
2002年に出た新しい本で 文芸社のサイト で通販もできるみたいですが、boople では扱っていないみたい。そういうこともあるのね。
日本古代史において、河童の登場とおもわれる部分について考察する本(他に小説「爺ちゃのはちみつ」「天草四郎時貞」を収録)。
文字が大きくて、書いてあることも文章的には難しくないのだけれど著者が「知ってて当然」と思っていることを知らないで読むと意味不明な点もあってちょっと悩む。
おぼえがき
●八代の津に上陸した河童
周の太王には太伯(兄)と季歴(弟)という息子がいて、季歴の息子である昌は、生まれながらに聖なる顔をしていた。そこで、太王は次男の季歴に周の国をつがせ、さらに昌に位を譲りたいと考えた。
そこで問題になるのは長男の太伯。父や弟に誅殺されることをおそれ、自ら髪を切りオカッパ頭になり、顔に入れ墨をして「王たる資格はありません」という態度を示した。
その後、太伯は呉という国をつくり、呉は越という国に滅ぼされる。越王については「越王の人と為り、長頸烏喙なり、與に楽を共にすべからず」(『越世家第十一』)という文章が残っている。口が烏のように尖っているのは歯の粒が大きくて出っ歯だという悪口だ。
越に国を滅ぼされた後、呉の太伯は日本に渡ったと著者は考えているらしい。その根拠として十六〜十七世紀に日本で布教していた宣教師たちが皆「日本は呉の太伯の子孫」と言っていることをあげている(なんかの文章をそのまま引用してるだけなんじゃん?)。
オカッパで文身(入れ墨)の太伯の渡来が、河童のもとになったのではないかと。なお、突然出てくる越王は出っ歯のくだりは、著者が「呉と越は同族」という説を支持していることから来るもので、ハッキリとは書かれていなかったが太伯も出っ歯だったんじゃないかと言いたいのだろうか。
烏喙に出っ歯という意味があるのなら、『山海経』にある「讙頭国はその南にあり、その人となり人面で翼があり、鳥の喙、いまし魚を捕う」というのも、魚食いの異民族が出っ歯であったということを言っているのだろうか。
●その他 『論衡』によれば、周の時代(紀元前十世紀ごろ)に、すでに倭人が来て暢草を献上したとある。このころの日本は縄文時代後期。
『魏略』の逸文には倭人たちが自ら「呉の太伯の後裔である」と言ったとある。
関連 >>31『論衡』
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