浪石(浦島太郎の涙石)
 

 これは浦島太郎のお話のつづきです。

 むかし、丹後国の浦島太郎という若者が、たすけた亀につれられて竜宮城へいきました。

 竜宮城で三日のあいだ楽しい日々をすごして帰ってみると、家のあった場所にはなにもなく、村にも知らない人ばかりが住んでいました。

 誰に聞いても家族のゆくえがわからないので、仕方なくお父さんの故郷である相模国へ行ってみると、お父さんは三百年も昔に亡くなって、海の近くの丘の上に葬られていることがわかりました。

 竜宮で遊んでいるうちに、お父さんもお母さんも死に、ひとりぼっちになってしまったのです。太郎はどうしていいかわからなくなって、浜辺にあった大きな岩につっぷして泣きました。

太郎は大きな岩の上で泣きました
 それから、太郎がどうなったか、よくわかりません。もういちど竜宮に戻ったのだという人もいますし、お父さんのお墓のそばで一生を終えたという人もいます。

 ただ、太郎が涙を落としたその岩には、いつの頃からかふしぎなことがおこるようになりました。嵐の前にひとりでに岩がぬれたようになるというのです。

 やがてこの岩のことを、誰いうともなく浪石(なみいし)と呼ぶようになり、いつのころからか涙石と呼ぶようになりました。

 涙石は、横浜市の成仏寺というところに今でも残っています。重さ千貫(約3750kg)もある大きな岩だということです。
 

◆こぼれ話◆

 浦島太郎の父親の浦島太夫は相模国三浦(今でいう神奈川県三浦市)の生まれで、ただの漁師ではなく、なんらかの役職をもったお役人だったらしい。丹後国(京都北部)に赴任して、そこで息子が生まれるが、『日本書紀』などでは「浦島子」または「島子」とあるだけで、太郎という名前はない。慶運寺の石碑には「浦島太良」とある。

 太郎の父は、海に出たままもどらない息子を偲びつつ死んでしまうが、漁師仲間が故郷の三浦に近い白幡の丘に墓を作った。その場所には「浦島丘」という地名が今も残っている。

 現地に行ってみました。写真は>こちら

 
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