観音様と浅草のり
 
 
浅草の観音様

 それは日本に仏教が伝わって間もない頃、武蔵国(東京)に土師臣中知(はじのおみなかとも)という人が隅田川の下流で魚をとっていると、網に小さな金の像がかかりました。

 中知は仏像を見たことがなかったので、ありがたいものだとは知らないで海に捨てて、また網を投げました。するとどうでしょう。先ほど捨てた金の像がまた網にかかるのです。

 不思議なこともあるものだと像を持ち帰り、そっと道ばたに置いておきました。その日は延長六年(628年)の三月十八日のことだと言われています。

 そこへ子供たちがやってきて金の像をみつけると、アカザで小さなお堂を造りってあげました。やがて武蔵国にも仏さまの教えが伝わって、この小さな像が観音様というありがたい仏さまだということがわかると、立派なお寺をたてて祀りました。これが浅草寺のはじまりです。
 

浅草のり

 それから時が流れ、平公雅(たいらのきみまさ)という人はどうしても偉くなりたくて浅草寺の観音様にお参りしていました。そのかいあって安房国(千葉県南部)の国司になることができたので、観音様のためにお寺を建て直してお礼をしました。

 ある日、この人の夢の中に観音様が現れて、
「浅草の沖合に生える青、赤、黒の海草を食べれば病気もせず、運が開けるでしょう」
と言いました。

 日頃から信心している仏さまのおっしゃることだからと、さっそく海草をあつめて食べてみると、とてもおいしく、体にもよいことがわかりました。観音様の法(のり:教え)だから「浅草のり」だと評判になって、今でも東京の名物になっています。

 平公雅が夢を見たのは天慶八年(945年)の三月十八日のことだと言われてます。

 

◆こぼれ話◆

 浅草寺の観音様が海から引き上げられた 3月18日は浅草寺で大法要営まれ、境内では金龍の舞が奉演される。
 

 
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