大岡裁き(一)子争い
 
 
 大岡越前(おおおかえちぜん)という人は立派な奉行であった。奉行というのは今でいう裁判官のことで、争いごとや事件があると、人々の話をよく聞き、こうして解決すればよいと裁くのが仕事である。

 大岡様の名裁きはいろいろあるが、ここでは「子争い」と呼ばれる話を二話ご紹介しよう。

引き勝ったほうが勝ち?

 ある時、ふたりの女がひとりの子を連れてやってきた。たがいに「自分こそこの子の本当の母親です」といって一歩もしりぞかない。

 そこで大岡様はこう言った。

「子の腕を持て。お前は右じゃ。そちは左を持つがいい。それから力いっぱい引き合って勝ったほうを実母とする」

 女たちは子供の腕をおもいきり引っぱりはじめたが、子供が痛がって泣くので、一方の女が思わず手を放した。

 勝った女は喜んで子を連れてゆこうとしたが、大岡様は
「待て。その子は手を放した女のものである」
と言うのだった。

 勝った女は納得できず、
「なぜでございます。勝った者の子だとおっしゃられたではありませぬか」
とはげしく抗議した。

 そこで大岡様はおっしゃった。
「本当の母親なら子を思うものである。痛がって泣いているものをなおも引く者がなぜ母親であろうか」
 

乳汁の重い方が勝ち?(遠野版)

 嫁と姑が同時に子をはらむが、産婆が赤ん坊を産湯につからせている間に、どの子がどちらの子かわからなくなってしまった。
 赤ん坊は男の子と女の子だったので、嫁も姑も「男の子が自分の子」と言ってゆずらなかった。
 そこで名奉行と名高い大岡越前のところへ相談にゆくが、DNA 鑑定もなかった時代のこと、さしもの大岡様にもこればかりはわからない。
 そうしたある日、大岡様が狩りにいくと、川辺で子供達が遊んでいる。どうやら大岡越前ごっこをしているようだった。

「ひとつ、ふたつ…と数えてゆくと、とうだけ "つ" がないのはどういうことでございましょう」
「ふむふむ、それなら "いつつ" に重なる "つ" をとうにつければ無難であろう」
「ははー、さすがはお奉行様、名裁きでございます」

 近くで聞き耳をたてていた大岡様は、子供達の頓知に心の中で感心する。さらに続きを聞いてみると…

「うむ。では次の者、訴えを申し述べよ」
「この者たちは嫁と姑でございます。同じ日に男女の赤子を生みおとしましたが、産婆の手違いでどちらの子かわからなくなってしまいました。互いに男の子を我が子と言ってゆずりませぬ。どうかお裁きを」
「あいわかった。なれば同じ形の椀をふたつ持て。嫁姑ともどもこの椀に乳汁を絞り出すがよい。これを秤りくらべて重いほうを男の子の母とせよ」

 男の子を産めば濃い乳がたくさん出るものである。
 なんと知恵のある子供たちであろうと、大岡様が子供達のあとをつけてみると、山奥の家に姿を消した。続いて家に入ってみると誰もいない。あたりを見まわすとその家には四方に柱がなく、家のまんなかに大きな柱がある一本柱の家であった。

 大岡様は奉行所にもどり、さきの嫁姑を呼び乳汁を計らせた。すると姑の乳が重かったので男の子は姑の子とわかり、一件落着となった。

 また、大岡様は山奥で見た一本柱の家をヒントにして、傘というものを発明したという。
 

◆こぼれ話◆

 お馴染みの大岡裁き。
 引き勝った方が勝ちというのが一般に知られているお話。乳汁が重い方が勝ちというのは遠野地方に伝わる話である。
 後者の乳汁が重いほうが男の子の母というのは面白いが、あまり説得力を感じない。後者の話の面白いところは大岡越前が謎の子供達にインスピレーションを得るところだ。しかもその子たちは一本柱の家に姿を消すというのも面白い。傘を連想するような一本柱の家といえば、弥生時代の竪穴式住居のようなものだろうか。天孫が下る前の神様はきっとそんな家に住んでいただろうと思う。
 

 子を引き合う話は旧約聖書の列王紀にソロモン王の逸話として出てくるのと似ている。

 同じ家に住むふたりの娼婦は、三日ちがいで男の子を生みおとす。ところが片方の女が寝返りをうったときに我が子を下敷きにして殺してしまった。そこで死んだ子をもう一方の子ととりかえてしまう。

 朝になり、もう一方の娼婦が目を覚ますと、自分の子が死んでいるのに気づいた。よく見るとその子は自分が生みおとした子ではない。同室の娼婦が抱いている子が自分の子のようである。

 互いに生きているのが自分の子と主張して決着がつかないのでソロモン王に判定してもらうことになった。王は話を聞くと剣を持ってくるように命じ、
「剣で子を半分に切り裂け。一方はこの女に、もう一方はあの女に与えよ」
と、言うのだった。

 これを聞いて一方の女が「どうか生きている子をあの女に与えてください。決して殺さないでください」と言う。王はこの女に子を引き渡した。

 剣で切り分けよというソロモン王もかなりのツワモノだが、偽物の母親はもっとすごい。「早く切り分けてください。自分のものにならないとしても、その女にとられるのだけはイヤです!」と言うのだ。子供が欲しいというより、ライバルの幸せを見せつけられるのがイヤだったのかもしれない。

 もともと大岡裁きは史実ではなく、古典をもとにしたフィクションばかりだという。ソロモン王の話が直接影響をあたえたと言うのは突飛だが、よく似た話は中国の古典『棠陰比事』にもある。

 ある兄弟が同じ家に住んでいた。兄の嫁と弟の嫁は同時に懐妊し、兄嫁の子は腹の中で死んでしまった。けれど兄嫁はこのことを黙っていて、まもなく生まれた弟の嫁の子をうばいとって自分のものにしようとした(跡継ぎがいないとその家の財産を自分のものにできないから!)。

 ひとりの子供をめぐって三年のあいだ言い争い、ついに役所に訴え出て裁きをうけることになったが、判事は女房たちに子供を奪いあわせて勝ち取ったほうが本物の母親と言う。そこで子争いがはじまるが、兄嫁は子供の足が折れるほど激しく奪い取ろうとするが、弟の嫁は子供がかわいそうで力を込められない。それを見て判事は子供は弟の嫁のものとして、兄嫁を処罰した。

 
 
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