爺さんと竹
 
 
 むかし、爺さんと婆さんがいたと。
 床下でコツコツ音がするので、一体なんだべなあと羽目板をはずしてみると、タケノコがはえてきて羽目板に頭をぶつけておったんだと。

 爺さんは羽目板に穴をあけて、タケノコが頭を出せるようにしてやった。すると、見る見る大きくなって、こんどは天井をコツコツたたくんだと。爺さんが天井にも穴をあけてやると、タケノコはずんずんのびて、立派な竹になったんだと。

 竹はどこまでものびていって、もうてっぺんが見えないほどだった。爺さんは竹がどこまでのびたか気になって、弁当を腰につけてのぼりはじめた。いくらのぼってもてっぺんが見えなかったんだと。

 昼になり、そろそろ腹もへったので、枝が二股になっているところに腰をすえて弁当を食べた。それからまた、わっしわっしと上っていくと、やがて日が暮れて夜になった頃、やっとてっぺんにたどりついた。

 なんとおどろいたことに、竹のてっぺんは月の世界までとどいておった。
 月には立派な宮殿があってのう、爺さんがおどろいて、きょろきょろしていると、美しいお姫さんが出てきて、
「お爺さん、お待ちしておりました。御馳走を用意しましたから、召し上がってください」
と、爺さんの手をひいて案内してくれたんだと。

 爺さんはウサギがついた餅を食べ、星たちの踊りを見て楽しく暮らしていたが、そのうち家のことが気になって、
「婆さんはどうしているかいのう。婆さんもここへ連れてこられたらええのう」
と、ため息まじりに言ったんだと。

 すると月のお姫さんはにっこり笑って、
「それは良いことです。お婆さんもぜひお連れくださいませ。けれど、ひとつだけ気をつけてくださいな。竹を上っている間、お爺さんは決して口をきいてはなりませんよ」
というんだと。

 それなら雑作もないことさと、爺さんは竹をつたっておりていった。
 爺さんは、婆さんに月の世界のことや、竹を上る間は口をきいてはならないという約束を話してきかせたんだと。

 すると婆さんも早く月の世界を見たがって、
「そういうことなら黙っているよ。子供じゃあないんだから、わけないことさ」
と言うんだと。

 そこで爺さんは、婆さんを大きな袋に入れて背中にかつぎ、月をめざして竹をのぼりはじめた。

 一度目と同じように、お昼になると枝分かれしたところに腰をすえて弁当をひろげた。婆さんも袋の中でにぎりめしを食べた。

 腹がくちくなったので、爺さんはまたどんどんのぼりはじめたが、婆さんは袋の中にいるので外の様子がわからない。とうとう我慢できなくなって、
「爺さんや、まだ月には着かないのかい」
と言うんだけど、爺さんは約束を思いだして返事をしなかった。

 しばらくすると、また婆さんが
「爺さん、まだかい」
と言うけど爺さんは返事をしない。

 日が沈んであたりが暗くなってきたころ、婆さんがしびれをきらして
「まだなのかい」
と言ったので、爺さんもあとちょっとだから一言くらいしゃべってもいいと思って
「もうすぐじゃ」
と答えてしまったと。

 すると、しっかりゆわえてあった袋がするりとほどけて、婆さんを入れたまま真っ逆さまに落ちて行った。

「こりゃ大変だ。ここから落ちたら命はねえだ」

 爺さんはあわてて地上におり、婆さんの死体をさがしたがみつからない。死体はないけど、真っ赤な血がそこいらじゅうに流れて、生えていた蕎麦(そば)の茎が真っ赤に染まっていたんだと。

 それ以来、蕎麦の茎は赤くなったということじゃ。
 

◆こぼれ話◆

 異界というのは行こうとして行けるものではなく、偶然そこへたどりついてしまうものらしい。もう一度そこへ戻るには「○○をしてはいけない」という約束をさせられることが多い。話すな、ふり向くな、箱を開けるな…など、大して難しい約束ではないのに、たいていの場合は禁をやぶって失敗する。

 竜宮へ行った浦島太郎はもちろん、妻を冥府から現世という異界へ連れ戻そうとして失敗するイザナギ神も失敗組の仲間だし、鶴女房なども、人ならぬ者との結婚生活という特殊な環境を異界に見立てることができると思う。この場合も覗くなと言われた機屋を覗いて幸せをのがしてしまうのだ。

 西洋にもこの手の話はたくさんある。イザナギ・イザナミ神話にそっくりなギリシア神話のオルフェウスの話。また、アダムとエヴァの話もこれの類話だと思う。食べるものなら他にいくらでもあったのに、わざわざ禁じられた木の実をとって食べたばかりに楽園という異界から追放されて戻れなくなってしまうのだから。

 ところで、上に紹介した話には、ふたつの別の神話が含まれている。ひとつは先に述べた「禁を破って不幸になる」というものだが、もうひとつは「女神の犠牲の上になりたつ幸福」である。

 環太平洋の島々では、女の子や女神がなんらかの理由で殺されたあとに、主食になるような穀類や芋が生まれてくるという話が伝えられている。日本の神話でも、オオゲツヒメという食べ物の神様が、鼻や口や尻から食べ物を出しているのを「汚している」と勘違いしたスサノオが怒って殺してしまうのだが、その体から稲・粟・麦・小豆・豆などが生えてきたと伝えられている。そこには必ず死が介在していて、誰かが惨殺されることで恵みがもたらされることになっている。

 こういったお話をハイヌヴェレ型神話とか言うそうだが、昔話にもその名残がちゃんとあって、たとえば上に紹介したようなお話では禁をやぶったせいでお婆さんが死んだところまでで物語は充分に完結しているにもかかわらず「婆さんの血を吸って蕎麦の茎は赤くなった」と、余分とも思えるようなオマケがついてくる。『瓜子姫』で退治された天邪鬼の血によってソバの茎が赤くなったと説明するケースがある。この場合、主人公の瓜子姫だけでなく天邪鬼も生け贄として惨殺されてしまうが(天邪鬼は女の鬼だという説もあるそうだ)。

 ソバという植物は、日本では五穀にこそ含まれていないが、痩せた土地でも育ち、成長も早く、栄養価が高いとすばらしいことずくめの植物だから、貧しい農村では重宝したのではないかと思う。昔話の中で、女性の惨殺事件が出てくると、こじつけたようにソバの赤い茎の由来を付け加えるのは、古い神話の名残ではないかと思う。
 

 
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