人魚伝説
 
 
◆八百比丘尼
 酒を買いに来る小僧さんの後をおって竜宮に行った酒屋は手箱をもらって家に帰ると陸では三年たっていた。酒屋の娘が手箱をあけてみると中に人魚がいてうまそうなので食べてしまう。娘は年をとらず八百歳生きたと言われている。

 
◆年を取らない男(群馬県)
 正直者と評判の、清治という名の百姓が利根川の淵を歩いていると、水面に女の子が現れて竜宮城へ招いた。

 竜宮では珍しいご馳走をふるまわれたが、中に赤ん坊のような赤い肉があるのを見て、
「これは何ですか?」
とたずねると、乙姫様が
「これを食べると歳をとらず、永遠に若いまま生きられるのです」
と言った。

 そんなにいいものならばと、清治は自分でも肉を食べ、いくらか土産にしようと乙姫様の目を盗んで懐に肉をしまった。

 やがて、清治は家に帰ることになり、もとの淵にもどってきた。しばらくぼんやり暮らしていたが、ふと我にかえりあの肉はどうなったのかと見ると、みよという娘が食べてしまっていた。

 清治は竜宮で食べた肉のおかげでいつまでも若くすごし、みよもまた八百歳生きたといわれている。
 
◆八百比丘尼(栃木県上都賀郡) 未来社『日本の民話5』
 栃木に海はないが上都賀郡に八百比丘尼伝説がある。各地の比丘尼が人魚を食べるのに対して上都賀では九つ穴のあるタニシを食べて不老不死になる。

 崇神天皇の時代に朝日照命(あさひてるのみこと)という男が都を追われて上都賀へやってきた。彼には八重姫という娘があり、ある日不思議な老人に穴が九つあるタニシをもらって食べたところ、年をとらなくなったという。老いを知らぬ八重姫をものにしようと、多くの男が言い寄ったが、姫はこれをわずらしいと思い、家を出てしまった。

 時は流れて、姫が家に帰ってくると、様子がすっかり変わっており、父母はおろか見知った顔の者もいない。四、五十年のつもりだったのに数百年たっていたのである。姫は世をはかなんで尼となり名を妙栄と改めた。村内の五代尊神社に杉三本、大倉山鳥居杉として杉三本を植え、婦女の安産と疱瘡麻疹防除を祈願しつつ全国を行脚し、若狭国で入水下したと伝えられる。

# 五代尊神社(大宮神社のこと?)は実在するようである。
 

■八百比丘尼(岐阜県) 未来社「日本の民話9」

 旧益田郡の八百比丘尼は酒屋の娘だった。不思議な瓢箪に毎日一斗の酒を買う小僧を酒屋の主が追いかけていくと竜宮城についてしまう。竜宮でもてなされ小箱をもらって帰ると三年たっていた。娘が小箱を開けてみると中に人魚が入っており、食べてみると老いなくなった。八百歳生きて死んだという。

 八百比丘尼というより浦島太郎のような話である。店主がもらってきた箱は耳にあてると動物の言葉がわかる聞き耳の箱で、決して開けてはならないと言われている。主が家に帰ると店は大繁盛したとあるが箱がどんな役割をしたかは語られていない。

 この話で竜宮の小僧は一升も入らない瓢箪に一斗の酒を買う。そのことで酒屋の番頭と酒代を賭けて勝つが、酒代を払う代わりに自分の正体を詮索するなという。店主が怪しんで後をつけ、海に飛び込むところを捕まえる。見られたので帰れないと泣く小僧に、一緒に行って乙姫様にあやまると提案するのだった。
 

■白比丘尼(富山県中新川郡) 未来社『日本の民話10』

 村の者が謎の老婆にまねかれて滝の裏にある屋敷で一晩もてなされる。翌朝帰ってみると一年たっていた。土産にもらった包みにはエイのようなものが入っていた。

 みな気味悪がって食べなかったが、ある娘がそれを食べると老いなくなった。何度結婚しても亭主が先に年老いて死んでしまう。娘は尼になり白比丘尼と呼ばれ、やがて村を去って行ったという。

 白比丘尼が村を去る時に杉の木を植える。この杉が枯れたら自分が死んだと思ってほしいと言い残して。白比丘尼が植えたとされる杉は中新川郡の各地に残っているそうだ。石川県にも同様の話がある。
 
 

■八百比丘尼(新潟県佐渡島) 未来社『日本の民話11』

 佐渡島の羽茂村大石で、庚申待の講をやっていると、見知らぬ若い者が現れた。家の者が快くあげてやると、若者は次の講には船で迎えにくるからうちに来てほしいと言うのだった。

 六十日後、家の主が若者の船に乗り、目隠しをされて行ったところは竜宮城のような立派な屋敷だった。見たこともないご馳走でもてなされるが、台所をのぞいてみると上半身が人で下半身が魚の人魚を調理しているのだった。気味悪くなり、料理には手をつけなかった。

 若者は、せめて手土産をと人魚の肉をつつんでくれた。主は家に帰り、肉は捨ててしまおうとしたが、娘がそれを食べてしまった。それからというもの、娘は老いることがなく、八十歳になっても若く美しいままだった。村にいずらくなり、尼となって村を出て行った。

 若狭国で長く暮らしたが、八百歳の頃に一度だけ佐渡に帰ってきたという。しかし、村の様子はすっかり変わり、見知った人もいないので、すぐに若狭へ戻ったという。そうして若狭の国の殿様に齢二百年をゆずり、八百歳で死んだと言われている。
 

■八百比丘尼(石川県) 未来社『日本の民話12』
羽咋郡富来の「八百比丘尼」は越中黒部の玉椿千軒からやってきた。その地の長が京都へ行った帰りに、不思議なお侍と知りあいになる。侍が言うには、自分は越後の古狐であるが、あなたとは気が合って別れがたいので、ぜひ家に招いてほしいという。

 長が狐を連れて帰ると、狐は大変喜んで「この家はさわがしいので、裏山に別荘を建てて差し上げましょう」と言い、越後から狐を呼び集めて、あっという間に豪邸をたてた。祝いの宴会で狐が用意したのが人魚の肉で、気味悪がって誰も手をつけなかった。

 狐は「人魚の肉を食べれば人間であっても死ななくなるのに」と、非常にがっかりした様子だった。それを見ていたある娘が、狐から肉をもらって食べたところ、何十年たっても若い姿のままだった。やがて居づらくなり、尼となって旅に出た。八百歳のころ富来(とぎ)へやって来て椿の植え木原を作ったという。

 この話で狐と仲良くなり人魚の肉でもてなされるのは黒部の長(おさ)だが、人魚の肉を食べた娘は鳳至郡縄又村(現・鳳珠郡の一部)の生まれだという。八百比丘尼が移り住んだ富来には今でも椿の自生地があるそうだ。

■八百比丘尼(福井県) 未来社『日本の民話12』
 若狭の「八百比丘尼」は東勢(小浜市)の高橋権大夫という船持ち長者の娘だった。権大夫が見知らぬ島で住民から人魚の肉をもらう。家族で食べるつもりで袂に入れたまま忘れて帰宅。娘が気づいてつまんでみるとあまり美味しいので全部食べてしまった。八百年ほど生きて空印寺の洞窟で入定したという。

 八百比丘尼は色が白いので白比丘尼とも言われた。東勢の長者の娘という説のほかに、下根来の大工道満の娘であるとか、小松原の漁師の娘であるとも言われる。尼となり全国を行脚した後、空印寺の洞窟に籠もり「カネの音がしなくなったら死んだと思ってください」と言い残したという。

 あまり長いことカネの音が聞こえていたので、最初は気をつけて聞いていた人たちも気にしなくなり、いつごろ聞こえなくなったかはわからないと言われている。なお、空印寺は小浜市に実在し、八百比丘尼お手植えと伝えられる椿の木があるという。

■千年比丘尼(岡山県) 未来社『日本の民話15』
 昔、浅口郡金光町占見のあたりは海だったという。この地の千年比丘尼はボラに似て顔だけ人の女という魚を食べて不老になる。土地を去る時に残した杖が根付いてヒノキの大木になった。ある者が若狭で尼と出会うと「今でもつくまの森には舟が出入りしているか」と千年も前のことを話して懐かしがった。

 千年比丘尼=八百比丘尼の伝説では、比丘尼が故郷を去る時に杖を地面にさし、この杖が根付くころに戻ると言い残すことがある。見事に根付いて大木ができるので、何百年たっても「あの木は人魚を食べた娘が植えた」と言い伝えられる。千年前のことを誰もが知っている面白い理由づけだ。

◆こぼれ話◆
 群馬県には海がないが、どういうわけか竜宮伝説が残っている。利根郡には竜宮の乙姫様がお椀を貸してくれるお椀淵伝説があり、吾妻郡には淵に落ちた男が竜宮にたどりついて酒をふるまわれる話がある。
 
目次珍獣の館山海経博物誌直前に見たページ