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乙女の陰部を突いて死ぬこと(その2)
 『日本書紀』より

 あるところにヤマトトトビモモソヒメという人がいました。漢字で書くと倭迹迹日百襲姫だそうです。なんだかすごい名前ですね。長いのでここではモモソヒメと略します。

 モモソヒメは大物主の神と結婚しました。なぜ神様と結婚したのか『日本書紀』には記録されていないのでわかりませんが、おそらく神様のほうが夜中にこっそり通って来ていたのではないかと思います。

 モモソヒメは夫が何者なのかさえ知らなかったのではないでしょうか。とにかく大物主という神様は、昼間は決して姿をお見せになりません。日が落ちて真っ暗になると現れます。モモソヒメはそんな夫をいぶかしく思って、

「いつも夜中に来られるので、お顔を見ることさえできません。今宵はお帰りにならないでください。明日の朝その美しいお姿を拝見させていただきとうございます」

 大物主の神は闇の中でしばし思案して、
「そなたの願いはもっともじゃ。わたしは明日の朝、そなたの櫛笥(くしげ)の中にいよう。だが、わたしの姿を見て驚いてくれるなよ」
と、言って姿を消してしまいました。

 櫛笥というのは櫛を入れておく箱のことです。今だとメイクボックスみたいなものです。一体なぜそのような小さな箱の中に入れるというのでしょうか。それに、姿を見て驚くなだなんて。モモソヒメは夫の言葉を内心であやしみながら朝を待ちました。

 夜が明けると、モモソヒメは櫛笥をとりよせてそっと開けてみました。するとそこにはとても美しい小さな蛇がいました。太さも長さも着物の紐のようです。

 これが夫の本当の姿!

 モモソヒメは驚いて叫び声をあげました。

 妻の悲鳴をきいて、大物主の神は人間の姿に変わりました。

「そなたを驚かせまいと人に化して通ってきたのだが、たっての願いというので本当の姿を見せたのだ。なのに驚きを隠すこともなくそのような声をあげてわたしを辱めるとは。覚えていよ。わたしは帰り、そなたにもきっと恥を見せよう」

 そう言って舞いあがると、虚空をふんで三輪山へと上ってゆきました。

 なんということでしょう。夫は三輪山の神であったのに、その本当の姿を見てバケモノを見るような叫び声をあげてしまいました。モモソヒメは自分のしたことにおそれおののいて、その場に尻餅をついてしまいました。

 すると、ちょうどそこにあった箸が陰部を貫いて、その傷がもとでモモソヒメは亡くなりました。

 モモソヒメは大市(おおち)というところに葬られることになりました。その墓は大坂山の石を運んで作られることになりましたが、山から墓まで人々が列を作り、手渡しで石を運んだということです。昼は人間が、夜は神様がこの作業をしたと言い伝えられています。当時の人たちはこの墓を「箸墓」と呼んだということです。


 モモソヒメと大物主のお話は『日本書紀』の崇神天皇紀に出てきます。『古事記』の同じ時代にも大物主の伝説が出てきますが、こちらは話の筋が少し違っています。
 
 あるところに活玉依毘賣(いくたまよりびめ)という美しい娘がいました。まだ嫁入り前だというのに妊娠してお腹が大きくなってしまったので、両親が心配して「ひとりで妊んだのかい。男もなくてどうやって妊んだのかい」と言いました。
 
 娘は言いました「どこの誰かはわかりませんが、麗しい殿方が毎夜やってこられて、共寝しているうちに自然にできてしまったのです」
 
 両親は一計を案じ、娘の部屋に魔よけの赤土をまいて、娘には麻糸と針を渡し「針に糸をとおし、今夜通ってくる男の着物にそっと刺しておきなさい」と教えました。
 
 翌朝見ると、麻糸は部屋から鍵穴を通って外へつづいていました。麻糸は糸巻きに三勾(みわ・三巻き)だけ残っていました。糸は近くの山まで続いており、神の社の前でとぎれていました。それで娘のところに通ってきていたのがこの山の神であることがわかったのです。この時からこの山を三輪山と呼ぶようになりました。
 
 娘はやがて男の子を産み落としますが、その子が成人してしばらくすると、国中に悪い病が流行りました。ある日、崇神天皇の夢枕に大物主の神が現れて「意富多多泥古(おおたたねこ)という者を探して私を祀らせよ。そうすれば疫病は治まる」と言いました。その人こそ大物主の神が活玉依毘賣に生ませた子供だったのです。
 
 大物主伝説は昔話によくある「蛇婿入り」の原型になったお話だと思います。昔話では蛇の子を妊んだ娘が菖蒲湯をまたいで(またはヨモギのお餅を食べるなどバリエーションがあります)蛇の子をおろして事なきを得ます。蛇にあまり良いイメージはありませんし、その子供も生まれてこなくて良かったねという結末になります。
 
 ところが『古事記』の例だと、大物主が人間の娘に妊ませた子は立派に成人し、父である大物主を祀る神主になります。古代日本では生殖行為は豊饒を連想させる神聖なものでしたから、神のお手つきともなれば、むしろおめでたいことだったのかもしれません。昔話の時代に蛇婿殿の子供が忌み嫌われるのは仏教の影響かもしれません。仏教では性欲を汚れたものと考えますからね。
 

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