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鹿母婦人(ろくもふじん)
 『大唐西域記』より

 むかし天竺のある山に仙人が住んでおりました。彼は独り者でしたが、修行中に美しい鹿と恋に落ちまして、その、なんでございますな、鹿に子供ができたのであります。

 時満ちて生まれてきたのは女の子でありました。この子は人間の姿をしておりましたから、仙人のもとで人間として育てられたのであります。

 年頃になった娘は、それはそれは美しくすらりと長い手足を持っておりました。娘が走り出すと、まるで鹿のように優雅に素速く風を切って走るのです。仙人は娘の成長を誰よりも喜んでおりました。

 さてある時、火種を切らしてしまった仙人は、娘に隣の山へ行くように言いました。隣山には別の仙人が住んでいるはずなのです。

 娘は飛ぶように山道をかけぬけ、あっという間に隣山の仙人の家にたどりつきました。

「導師さま、父が火種を切らして困っております。どうか火を貸してくださいませ」

 娘が息をはずませてそう言うと、隣山の仙人は不思議そうな顔をして言いました。

「そりゃかまわないが…そなたの足下に咲いているのは蓮華かのう。このような乾いた土地になぜ?」

 よく見ると、娘が通ってきた道には点々と蓮の花が咲いているのでした。

「なんと不思議なことじゃろう。そなたが駆けると蓮の花が咲くようじゃ。すまんが家のまわりを駆けて蓮華を咲かせてくれんかのう」

 仙人にたのまれて、娘は走り始めました。
 するとどうでしょう。
 その美しい足が地面にふれると同時に、大輪の蓮華がぽんと小さな音をたてて花開くのです。
 娘は仙人の家のまわりを七度まわり、あたりを蓮華で一杯にしました。
 仙人は大喜びで娘に火種をあたえて家に帰しました。

 ところで、こういったことには偶然の出会いがつきものです。
 たまたま山に狩に来ていた天竺の王様は、水のない乾いた大地に蓮華が咲き乱れるのを見て驚かれました。そして、この不可思議をおこしたのが美しい娘と知ると、さっそく宮中に迎え入れ第一夫人とするのでした。鹿から生まれ、国の母たる后になった娘のことを人々は鹿母婦人(ろくもふじん)と呼んで祝福しました。

 しかし幸せは長く続きませんでした。
 鹿母夫人は王様の子を身ごもりますが、時満ちて生まれてきたのは一輪の蓮の花。国をつぐ男の子でもなければ、よい家にとつぐ娘でもありません。人間の姿すらしていないものを産んでしまったのです。

 王様はかんかんに怒りました。一足ごとに蓮華を咲かせる吉祥の娘と聞いて后に迎えたというのに、満足に世継ぎも生むことができないとは、とんだ食わせ物だというのです。王様は夫人から后の位を奪い、夫人が産み落とした蓮華は家来に命じてガンジス河に捨てさせました。

 それがすべての不幸の始まりです。この蓮華には千枚の花びらがあり、その一枚一枚にすこやかな男の子がやどっていたのでした。千人の男の子は、それぞれに力強い若者に成長し、やがて国を脅かすような大きな権力を持つようになりました。

 そうしてある日、千人全員が集まって、国をほろぼして乗っ取ってしまおうと兵を挙げたのです。王様は驚いて、もはやこれまでと城を捨てて逃げ出す準備を始めました。

 けれど、鹿母婦人は気づいたのです。城をとりかこむ軍勢を率いているのは、自分が産み落とした息子たちなのだと。そこで城の塔に上り、押し寄せる兵士たちに呼びかけました。

「そなたらは大きな間違いをしております。この国の王はそなたらの父。そしてわたくしこそがそなたらを産み落とした母であります」

 しかし頭に血がのぼっている男たちに、そのような呼びかけは通じませんでした。そこで夫人は着物の前をはだけて豊かな胸をさらけだし、自らのその手で乳房をもみしだきました。

 すると奇跡がおこったのです。
 夫人の乳房から乳汁がほとばしり、千に別れて、蓮華から生まれてきた子供たちひとりひとりの口に入りました。

 それでやっと、子供たちにもわかったのです。この人こそ自分の母親であり、この国の王は父上なのであると。

 子供たちはあわてて武装をとき、両親に非礼をわびました。
 こうして国はすんでのところで救われたのです。
 母と子の絆はそれほどにまで深いものであります。


 蓮は葉の形が胎盤と臍の緒に似ているというので、生命の誕生を象徴する植物だそうです。なお、鹿母夫人は、仏教用語っぽく「ろくもぷにん」とすべきかもしれないのですが、単純に読みにくいので「ふじん」って仮名ふっときました。
 

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