『オリガ・モリソヴナの反語法』 ( No.29 ) |
- 日時: 2003/05/06 08:06
- 名前: ちんじゅう
- 『オリガ・モリソヴナの反語法』>>11
読了。 スターリンの時代に粛正された人たちの歴史を扱っているのですが、主人公が自分の恩師の不思議な生い立ちを追ううちに、謎だったいろんなことが少しずつわかってゆくという筋立てになっていて最後まで飽きることなく読めました。直感に頼って買って正解。面白かったと言うべき話じゃないかもしれないけど、素直に面白かったです。 作者の米原万里さんは 9〜14歳までの間プラハのソビエト学校で学んだ経験があるということですが、主人公の少女時代のことなどは実体験に基づいているのでしょうか。どのくらいまでフィクションなのかよくわからないのですが、作者の身近に地獄のような収容所生活を生き抜いた先生がいたのかもしれません。
同じ作者(米原万里)の本 『旅行者の朝食』 『真夜中の太陽』 『ロシアは今日も荒れ模様』 『ロシアは今日も荒れ模様』(文庫) 『ガセネッタ&シモネッタ』 『わたしの外国語学習法』(文庫) 『魔女の1ダ−ス』(文庫) 『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』(文庫)
米原万里は TBS 朝の報道番組「ウォッチ」にコメンテーターとして出ている人です。
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Re: 日々の読書 ( No.30 ) |
- 日時: 2003/05/08 16:59
- 名前: ちんじゅう
- 平凡社・東洋文庫『続日本紀』1〜4
boople では注文できませんが、 平凡社のサイト で通販できるようです。
あることを調べたくて借りてきたものです。口語訳のみ収録されています。 『日本書紀』に継いで編纂された編年体の歴史書で、文武天皇元年(679年)から桓武天皇の延暦八年(791年)までを扱っています。編者は菅野真道、秋篠安人、中科巨都雄ら。成立は延暦十六年(西暦797年)。
『日本書紀』は神話時代を扱っているので、読み物として楽しい部分が多いですが『続日本紀』はナントカ天皇の何年何月に、どこそこで大風があって家がふっとんだとか、何年何月に天皇が詔して「朕に徳がないばかりに飢饉がひどいので恩赦をする」と言ったとか、現実的なことが淡々と書かれています。
なんの目的もなく読破するのはキツイですが、この時代に活躍した人の名前を探しながら読むなど、何か目的をもって読むと楽しいこともあります。
たとえば、和製ファンタジーにはまったことのある人にはおなじみの役小角(えんのおづぬ)などもこの時代の人で、天武天皇の五月丁丑(二十四日)、役君小角が伊豆嶋に流刑になったとあります。 読み物っぽい部分の少ない本ですが小角に関しては鬼神を雑用に使うとか、流罪になった経緯とか、ちらっと説明されてます。
今では偉いお坊さんとして有名な行基もこの時代の人です。最初から認められていたわけでなく、インチキ坊主扱いされていた時代もあるようです。天正天皇はこの人のことを「小僧」と呼んで批判してます。
日本人ばかりでなく、かの有名な玄奘三蔵の名前も出てきます。 日本の僧侶で、中国で勉強してきた道照(または道昭)という人が天武天皇四年(700年)の三月己未(十日)に亡くなっていますが、この人は中国で玄奘三蔵に弟子入りしたというのです。玄奘は道照をかわいがって、同じ部屋で寝泊まりさせていたそうです。 また、玄奘が西域の旅で村ひとつない荒野で餓死しかけたとき、どこからか僧侶が現れて梨の実をひとつくれたという不思議な話を出し、その時の僧侶は道照だったに違いないと言ってます。 さらに、道照が日本に帰ることになると、論経と、舎利(仏陀の骨)と、西域から持ち帰った鍋を与えて別れを惜しんだということです。 この鍋は、薬草を煎じて飲むとどんな病気も治ってしまう不思議な鍋ということです。帰国の船の中で病気になった人に、この鍋で粥を煮て与えたら、みなたちどころに元気になりました。 ところが、船が海上のあるところまでくると、どうしても先へ進めなくなり、七日七晩も足止めを食うことになります。船に乗っていた占い師が「海中の竜王が道照の鍋をほしがっているのです」というので、泣く泣く鍋を海に投げると船が進み出したということです。 この話のどこまでが史実かわかりませんが、当時の日本でも玄奘三蔵が尊敬されてたことがわかります。
●その他のおぼえがき 天武天皇の大宝二年(702年)七月乙亥(十日)、美濃国大野郡の人、神人大が蹄の八つある馬を献じてきたので、稲千束を与えた。 八つの蹄って、足が八本という意味? それとも、牛のように蹄の割れた馬という意味??
※この部分、原文では「美濃國大野郡人神人大獻八蹄馬。給稻一千束」とあって、「八蹄」と書けば一足に蹄がやっつという意味らしい。『漢書』や『論衡』に見える白い麒麟も「五蹄」と書いて、一足に蹄が五つと読むのが一般的な解釈だとか。
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『論衡』 ( No.31 ) |
- 日時: 2003/05/08 17:38
- 名前: ちんじゅう
- 明治書院
新釈漢文大系68『論衡 上』 新釈漢文大系69『論衡 中』 新釈漢文大系94『論衡 下』
中国・後漢時代の思想書。自然、人生、歴史、政治思想について、世間ではこう言ってるけど私はこう思うと、するどくツッコミを入れている。
中国の本なのでもとは漢文で書かれてます。日本語訳はいくつか出てますが、一部だけ抜き出して収録した抄訳版も多いです。明治書院の『新釈…』には『論衡』のすべてが収録されていますし、漢文、漢文の書き下し、口語訳が収録されていて、資料価値が高いです(お値段も高いですが)。
著者の王充は『山海経』をだいぶ読んだらしく、あちこちにそれらしい記述があります。でもそれは 別のスレッド で抜き書きしているので、ここではそれ以外の面白そうなことをメモしようと思います。
●呉人(書虚 第十六) 禹の時代、呉は裸体の国で、毛髪を断ち切り体に入れ墨をしていた。
●麒麟(異虚 第十八) 漢の武帝のころ、白い麒麟を捕まえたところ、一本角の先に肉をつけており、一足ごとに五つの蹄があった。謁者という役についている終軍という男に調べさせると「野獣でありながら一本角というのは天下がひとつになるということです」と読み解いた。 ※この話は『漢書』の終軍伝にある。
●倭人(異虚 第十八) 周の時代、倭人がやってきて暢草(鬱金草)を献上した。暢草は鬱金酒をかもし、よい匂いを遠くまでかおらせる。お祭りのときに注いで神おろしをするものだ。宮殿の庭に楮が生えたくらいで凶兆とするくせに、暢草はおめでたいものだというのはおかしい。どちらも自然に生えてくるもので同じじゃないか。
※暢草は、秬(クロキビ)とあわせて酒に香りをつける。李白の詩にも「蘭陵美酒鬱金香/玉碗盛來琥珀光」とある。鬱金といえばターメリックのことだが、倭人の貢ぎ物としてターメリックというのはあり得るのだろうか。
関連 >>17『「河童」を知れば日本の古代史がわかる』
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『論衡』 ( No.32 ) |
- 日時: 2003/05/09 23:19
- 名前: ちんじゅう
- ●麒麟(指瑞 第五十一)
春秋経に、死んだ麒麟を見て孔子が「なぜ出てきたのか」と言って泣いたとある。儒者たちは「聖人である孔先生は王となれず、徳のない者が魯の王となっているにもかかわらず、麒麟が迷い出たのを見て先生は嘆いているのだ」と解釈した。孔子がそう嘆いたから、麒麟は聖王のために現れるものだとわかると。 しかし麒麟は偶然出てきただけだ。もし麒麟が聖王のために現れるのなら、聖王のいなかった時代に出てくるはずがない。孔子はただ、捕らえられて殺された麒麟を見て泣いただけである。
※わかりにくいかもしれないが、
麒麟は聖王のために現れるもの ↓ 出てきてみたら、聖王がいなかった ↓ 存在意義を失った麒麟は人に捕らえられて殺された ↓ その死骸を見て孔子は嘆いた ↓ 弟子たち「孔先生はご自分が王になれず、世が愚か者に治められているのを嘆いておられる。やはり麒麟は聖王のために現れるのだ」 ↓ 王充「ちげーよ、麒麟は偶然出てきただけ。聖王のために現れるんなら、聖王のいない時代に出てくるわけないじゃん」
孔子が嘆くあたりまでの話は十二国記の麒麟の立場と通じていて面白いかも。そっちから麒麟に興味を持った人は、孔子の逸話を調べてみると面白かったりしないかな。
王充は、麒麟が聖王のために出てくるものじゃないと言っているんだけど、別に麒麟そのものを否定してるわけでもなくて、世界が太平になると自然にでてくるものだと言ってるみたい。 天下太平というのは、聖王によってもたらされるものなので、麒麟と聖王が結びついているように見えるだけだということです。
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『論衡』 ( No.33 ) |
- 日時: 2003/05/12 15:16
- 名前: ちんじゅう
- ●カイチ:鮭鯱・解豸・解廌…などと書く(是応 第五十二)
「鮭鯱は一角の羊で体色は青くて四足獣である。またの説では熊に似ていて直不直を知っており、生まれながらに有罪者を見分けることが出来る。皐陶が裁判するとき、有罪かどうか疑わしい者は羊に触れさせようとすると、有罪であれば触れるが、無罪であれば触れない。これは思うに天が一角の聖獣を下して裁判を助けて証拠とするものだろう。それゆえ皐陶は羊を畏敬しひざまずいて事えた。これは不思議なめでたいしるしの現れの類である」←この文章自体は何かの本の引用、または要約である可能性が高い。 ※「廌」は こんな文字 です。
●亀(是応 第五十二) 三本足のスッポンを能(だい)といい、三本足の亀を賁(ふん)という。
●過去と未来を知る生き物(是応 第五十二) 猩々は過去を知るし、乾鵠は未来がわかる。
●ソウジ:倉兕(是応 第五十二) 倉兕は黄河の水中に住む獣で、一身に九頭あり、よく人の乗っている船を転覆させる。 ※「兕」は、[凹/にんにょう] こんな文字 です。
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Re: 日々の読書 ( No.34 ) |
- 日時: 2003/05/12 17:56
- 名前: ちんじゅう
- ●鯀(死偽 第六十三)
鯀は死んで黄熊になり、羽淵に入った。 ※鯀というのは禹の父で洪水に着手して失敗、誅殺された。『山海経』にも名前は何度か出てくるが黄色い熊になった話はない。
●音楽(紀妖 第六十四) むかし、黄帝は「清角」という音楽を演奏させるとき、西大山の上に鬼神を招集し、象の曳く車に乗り、蛟龍を六頭そろえ、畢方神が車轄にならび、蚩尤が前に控え、風伯が露払いをし、雨師が道路に水をまき、虎狼が前に、鬼神が後ろに控え、虫蛇は地にひれふし、白雲が車の上空を覆い、このようになってからはじめて清角の演奏をした。この音楽を聴くには高い徳をそなえていなければならない。 平公が、楽士が止めるのを聞かず、この曲を演奏させたところ、嵐がおこり回廊の丸屋根を壊した。晋国は大旱魃で三年間も丸裸になり、平公自信は重病になった。 ※『韓非子』十過篇、『史記』楽書にこの話があるらしい。
というわけで、『論衡』読了しました。といっても、ぴらぴらページをめくりながら、興味のある単語が目に入った時だけ集中して読むという乱暴な読み方ですが。 そういえば昔、うちに『論衡』のことを聞きに来た人とかもいたような気がするけど、人に聞く前に自分で読めば?と言いたいです。調べて何か返事したような気がするけど、わかったともわからないとも言わずに二度と来なかったし。今度誰かに同じこと聞かれたら、「面白かったけど何か?」と答えよう、うん。
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『野菜物語』 ( No.35 ) |
- 日時: 2003/05/20 20:57
- 名前: ちんじゅう
- 『野菜物語』
野菜の歴史や世界の野菜料理、新しい野菜、ハーブなどについて美味しく解説する本。
図書館でぴらぴらっとめくったら面白くなってしまい、著者が誰かなんて少しも考えずに借りてきたのですが、さっき確認したら『マメな豆の話』や『東南アジア市場図鑑・植物編』の吉田よし子さんでした(参照>>9)。
著者はフィリピンでの生活経験があるのですが、やはり生活に根ざした話は面白いです。フィリピンでは未熟なパパイアを素麺状に切って甘酸っぱい漬物をつくるそうですが、キンシウリ(素麺カボチャ)で同じものを作ってふるまうと「どうやってこんなに細く切ったの?」と聞かれるというんです。そこで「カボチャを茹でてほぐしただけよ」なんて答えると誰も信じない。こういう武勇伝(?)はいつ聞いても楽しいです。 しかも、この人の話は面白いだけじゃなく本当に詳しいのです。植物学の知識が豊富なのか、説明にごまかしっぽいところが少ないし、中国のなんとかいう古典に出てくる、日本では日本書紀が最古の記録、なんてことまで、読みやすい文体で説明されてます。 野菜の好きな人にも、嫌いな人にもおすすめ。ひょっとして野菜嫌いがなおるかもよ。
おぼえがき ●モロヘイヤ(シナノキ科) Corchorus olitorius 原産は熱帯アジアで、フィリピンではサルヨッという。エジプトでも古くから食用にされており、エジプト帰りの日本人が最近になって持ち込んで普及させたことからエジプトの名前でモロヘイヤと呼ばれている。和名はナガミツナソ(長実綱麻?)、またはタイワンツナソ(台湾綱麻)、シマツナソ(縞綱麻)という。戦前に繊維をとるために国内で栽培されたことがあり、一部地域では当時から野菜として利用していたこともあるらしい。葉は無害だが、種に毒がある。モロヘイヤの繊維は英語でいうジュート(jute)と同じようなもの。
ジュートが取れる植物のことは、和名を「ツナソ」という。モロヘイヤと同じくシナノキ科で学名は Corchorus capsularis
※この本にもちらりと書いてありましたが、モロヘイヤの種に毒があるのは最近まで日本では知られていませんでした。4〜5年前に中毒の危険がある(実際にあった?)ので「花や種を食べないで!」とニュースになったのを覚えてます。 野菜としてお店で売られているものには花も種もついていないので心配はないのですが、家庭菜園ブームで自宅の庭やベランダで作る人が増えたせいで中毒する可能性が出たんだと思います。みなさんお気をつけあそばしてください。 モロヘイヤについては、吉村作治の本にもエジプトの食材として美味しく紹介されてたのを記憶してます。同時期に似たような本を何冊か読んだので、どれだったか正確には思い出せません。 吉田よし子さんはモロヘイヤに「トロロナ」という愛称をつけてましたが、吉村教授はエジプト生活中に納豆を食べたくなってモロヘイヤを食べたような話をしてました。納豆にはあんまり似てないと思うんだけど、ねばねばしたものを食べたいという欲求はわかるような気がします。
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至心懺悔 ( No.36 ) |
- 日時: 2003/05/21 12:06
- 名前: 涜神犯人
- 先月、近くの本屋に注文していた
平凡社ライブラリー 山海経 高馬三良(訳) ISBN:4582760341
が、やっと届きました 珍獣さまのお館に出入りして二年余り 実は、まだ山海経を持っていなかったのでした(至心懺悔) で、内容は犯人がコメントするより、ここのメインコンテンツ等をみてもらった方が わかりやすいでしょうから省略しますけど 水木先生の解説が読めたのは「感動!」でした
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Re: 日々の読書 ( No.37 ) |
- 日時: 2003/05/22 10:48
- 名前: ちんじゅう
- うーん。
犯人さんまでもが『山海経』も持たずにうちに入り浸っていたなんて。わたくし少々後悔ぎみ。オリジナルも知らずにうちのようなしょーもないもの見て喜んでるなんて、なんかまちがっておるよ、みなの衆。
結局、『山海経』専門サイトでありながら、『山海経』に興味を持つ人はろくに増やせず、なんとなくいついてる人ばっかりになってるっちゅーのはかなり問題アリというかなんというか。あまり面白くはありませんわなあ。
やっぱり化け物の画像なしにするか、自作の画像を使うんだったかなあ。そしたら山海経には本来こういう不思議な絵がついているので、興味のある方は平凡社ライブラリーを買ってね、と言えたかも?
まあ、それはともかく、水木御大の解説に感動しちゃった犯人さん。水木先生は山海経をもっと研究すれば日本の妖怪のルーツがみつかるんじゃないかって話をしてた気がしますが、せっかく手に入れたのですから、山海経出身の日本妖怪をみつけてやってくださいな。
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Re: 日々の読書 ( No.38 ) |
- 日時: 2003/05/23 21:17
- 名前: ちんじゅう
- 『花の名物語100』
タイトルの通りの本です。その花の名前がどういう意味で、どういう経緯でつけられたか、また花にまつわる伝説などを説明しています。 著者のダイアナ・ウェルズはフィラデルフィア在住の園芸家で 6 エーカーの庭を持つ自称「だらしない庭師」だそうです。
この手の本は腐るほどあるのですが、この本の特徴はは単純に言葉の意味や伝説だけを説明したのではなく、その花の学名がつけられた経緯や、発見された時の逸話などに重点があるということでしょうか。
この花について調べたい、という目的があるときにあたってみると、他では得られないことも書いてあるかも。
<おぼえがき> ●サフラン 1 オンスのサフランを作るのに、4000 もの柱頭(雌しべ?)が必要。そのため金と同じか、金よりも価値のあるものとして扱われた。中世の祈祷書には金箔のかわりにサフランを用いたものがある(どう用いたのだ?)。
金持ちは料理の風味付けにサフランを使い、貧乏人はキンセンカで代用した。サフランを食べれば頭が良くなると言われているが、毒性もあり、ジョセフ・ド・ツルンフォールは「トレントのある女性はサフランを食べ過ぎて笑いが止まらなくなり、三時間も笑い続けるのを見た」という。
※サフラン Crocus sativus とクロッカス rocus vernus は別種ですが同じ属でとても近い仲間。サフランのことをクロッカスと呼ぶ人もいるし、クロッカスのことをハナサフランと言う場合もある。 たしか何かのアニメだったと思うのですが、誰かが病気になり、熱か頭痛で苦しんでいる場面で「クロッカスが生えている時期だったらねえ」とつぶやいてるのを見たことがあります。何に出てくる台詞だったか気になって気になって…
●スイレン ヘロドトスによれば、スイレンの根は甘いらしい。 古代ギリシアでは根に勢力を減退する効果があると信じられており、中世の修道院ではスイレンの根の粉末とハチミツで舐め薬やペーストを作って貞操を守った。
※熱帯ではスイレンの根(根茎)を実際に食用にすることがあるらしいですが、甘いかどうかは未確認。
●クルメツツジ ニニギノミコトが天皇家を作りに降臨したときに聖なる霧島山の土から芽を出した。
※著者は「われわれも神を信じていないわけではないが、アザレア(ツツジ)は主に銀行やスーパーマーケットの駐車場に植えられている」と言ってます。日本でも神は信じられていますが、ツツジは道ばたで排気ガスをかぶって汚れてます。 クルメツツジというのはキリシマツツジと同じものらしいんですが、天孫降臨のさいに誕生したという伝説は始めて聞きました。何かの古典に出てくるのでしょうか。
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