『マメな豆の話』 ( No.9 ) |
- 日時: 2003/04/22 23:08
- 名前: ちんじゅう
- 『マメな豆の話』
これも食卓(再編集版)用に借りてきたもの。何冊か本をかかえて、そろそろ手続きをして帰ろうとしてたときにこれを見て、タイトルにクラッときて、ついでに借りてしまった。
…今、読み中ですが、これは…むふふふふ。 かなり美味しい本です。買ってしまいそう。文庫(新書)だし。
著者はあっちこっちで豆料理、豆製品ばかり食べてるみたいで、どういうものを具体的にどう使うという話が沢山出てきて食欲と好奇心を刺激されます。
特に、豆腐の話だけで 30 ページくらい費やしてるんですが、朝食に甘いシリアルを食べながら、合間に塩辛いものが欲しくなって中国の腐乳や沖縄の豆腐ようをクラッカーにのせて食べる話とか、ビビっとくる話が多くてたまりません。今めちゃくちゃ豆腐が食べたいです。ついでにチーズも。 臭豆腐の作り方を読んでいたら、ブルーチーズが食べたくなってきました。
おぼえがき
●納豆は日本、韓国のほか、中国南部、ラオス、タイなどの東南アジア、さらにはネパールでも食べられている。どこかで発生したものが伝播したのではなく、各地で個別に発生したと考えられる。
東南アジアでは、茹でた大豆を発酵させペースト状にして煎餅のように伸ばして乾燥させたものを焼いて食べるのが多い。 また、茹でて潰した大豆に塩や唐辛子、潰したなどで味をつけて発酵させ、味噌のようにしたものもある(山形の雪割り納豆と似たようなものか?)。 日本の納豆のように糸をひくものもあるが少ない。納豆だけを食べるよりは、料理に使うことが多いという。料理に使う前に水洗いして粘りをとってしまうこともある。
ネパールには、味付けして乾燥させた納豆がある。生のものもある。どちらも料理に使う。炒め物に加えたりカレースープなどに入れる。
ブータンの納豆は長期間発酵保存するので半流動体で臭い。
ダージリンからシッキムにかけては、日本の納豆のように糸を引くものが好まれる。
中国四川省・雲南省でも納豆を食べている。納豆に塩を加えて丸めて干したものなどがある。
西アフリカではイナゴ豆などの野生の豆を使って納豆のようなものを作っていた。固い豆をよく煮てから皮をとって乾燥し、もう一度煮てから葉を敷いた籠にいれて二、三日おくと発酵してやわらかくなる。これにシアーバターノキの灰を混ぜて丸めて乾燥させて保存する。食べるときは水にといてスープに加えるなど、味噌のように使う。 現在ではイナゴ豆が手に入らなくなってきたので大豆で同じものを作る。ダウダワ、スンバラなどと呼ばれている。
これらは、納豆菌、枯草菌で発酵させたものだが、インドネシアにはテンペといって、大豆をクモノスカビで発酵させて柔らかくし、レンガのように固めたものもある。オチョム、ダケなどともいう。
●ソラマメ 中国の豆板醤はソラマメで作る。乾燥ソラマメを砕いて皮を取りのぞき、一晩水につけてから水をきってカボチャの葉でくるんでおく。一週間ほどして黄色いカビが生えたら、塩・唐辛子・花椒を混ぜて良く潰し、瓶などに入れて密閉しておく。四川省ではこれを真夏に作る。
著者は『東南アジア市場図鑑・植物編』とうい本も書いてるんですけど、アジア食材に興味のある人には必携の書という感じです。
|
『江戸の妙薬』 ( No.10 ) |
- 日時: 2003/04/18 13:23
- 名前: ちんじゅう
- 鈴木昶
『江戸の妙薬』 (版元品切れなのか、boople では注文できないみたい)
特になんの目的もなく図書館で借りてきた本です。
孫太郎虫や陀羅尼助など、昔から愛用されてきた手作りの家伝薬について、その効能、製法、歴史、伝説などを説明した本です。
1976年に、厚生省が施行した「医薬品の製造および品質管理の基準」という法的規制によって、家伝薬は手作りであることを理由に製造許可がおりなくなったのだそうです。職人さんたちは以前の製法を捨て、膏薬に防腐剤を添加するなどの近代化をはかりましたが、そのせいで品質が悪化したものもあったとか。
そのような現状を憂いで書きつづられたものなので、家伝薬への愛着と、伝承の知恵への尊敬があふれた本でした。
[目次から] 天台烏薬・蝦蟇の油・孫太郎虫・湯の花・外郎・消毒丸・陀羅尼助・万金丹・薬用人参・黒焼・梅肉エキス・忍術丸・反魂丹・万能膏・打身丸・実母散・椿油・五官薬・熊胆・ヤイト・紫雪・飴薬・千金丹・話中散・目洗い薬・中将湯・養命酒・紅花・くすりの町・巡礼・あとがき
宇津救命丸(五官薬)や浅田飴(飴薬)、養命酒など、今も名前が残っている薬も出てきます。
|
『オリガ・モリソヴナの反語法』 ( No.11 ) |
- 日時: 2003/04/22 10:46
- 名前: ちんじゅう
- 『オリガ・モリソヴナの反語法』
小説。1960〜64年、父親の仕事の都合でチェコスロバキアのソ連大使館附属の普通学校に通った主人公(日本人・少女)は、在学中に出会ったダンスの教師オリガ・モリソヴナにひかれて行く。いったんは帰国するものの、ソ連崩壊後におとずれたロシアで老女教師オリガの半生を追ううちに、オリガとロシアの過酷な歴史と直面する。
あんまり珍獣の館っぽくはない本ですが読み始めたので一応記録。 しばらく前になんとなく買ったまま放置していたものです。決して嫌いなタイプの本ではなく、かなり面白く読み進められるので不満ありません(まだ途中までしか読んでませんが)。
でも、なんでこれをわざわざ買ってしまったのか自分でも首をひねってしまう。小説をハードカバーで買うなんてマネはここ数年したことがないのに。魔が差したというのも変な話ですが、そうとしかいいようがない出会いでした。平積みになってるのを見て、ほしいと単純に思い、何も考えずにレジでお金払ってた。冷静に考えるとやばい買い物の仕方だと反省気味。
|
『誰がダイエットをはじめたか?』 ( No.12 ) |
- 日時: 2003/04/22 10:46
- 名前: ちんじゅう
- 『オリガ…』は小説だし、買った本なのでちびちびもったいつけて読むとして、図書館からみょーな本をいくつか借りてきたので記録しておこうかと思います。
『誰がダイエットをはじめたか?』 ファッション雑誌アンアン誌上をにぎわした、ちょっと太めなモデル、ケニー・サアリが誌上から姿を消したのは太ったから? 再びアンアンに登場したケニーは無謀とも思える食餌療法でダイエットに望み、見事スマートな体を "とりもどした" 。 しかし、アンアン初登場時の体重とダイエット直前の体重はほぼ変わっていなかった。変わったのは女性の理想体型のほうだったのだ。 ダイエット記事から 10 年、すでに 30 歳を越えているはずのケニーと対面する著者だったが…
1992年初版の本で、今はもう絶版みたいです(まあそうだろうな)。なんでこんな本を借りてきたかというと、別にダイエットがしたかったわけじゃありません(いや、できるもんならしたいけど)。図書館の本だというのに、誰かが大胆にも鉛筆で線を引いちゃってまして、その線の部分を読んでいたら、これを読んだ人はダイエットになんらかの恨みがあったのではないかという思いにかられ、そのまま借りてしまいました。 一通り目を通してみると、鉛筆線の人は途中で飽きちゃったらしく、後ろのほうにはもう線は引いてありませんでした。ちょっとつまんない。どうせやるなら根性入れてやれいっ(って図書館の本に書き込みなんかしちゃだめ)。 そのような、どうでもいいきっかけで読み始めた本でしたが、明治時代の婦人雑誌にすでにダイエット記事が載っていることなどが書いてあって、それなりに面白うございました。
おぼえがき
●明治 41 年『婦人世界』 6 月号 医学博士・木村徳衛 「肥えた人は如何なる食物を取るべきか。ご婦人のうちには肥っている方が多いが、どうしたら肥満を治すことが出来るかといふに、一番有効な方法は一切食物を食べぬことです。何にも食べなければ、痩せることは受合ですが、餘り食べずにゐると生命まで痩せて死んでしまひますから、断食は危険な方法といはなければなりません」 「(牛乳療法について)これは最初に一升ぐらいの牛乳ばかりを飲み、だんだん分量を減らして、痩せるまでそれを続けるのですが、これも可なり危険な方法ですから、うつかり実行してはなりません」 「世間には、肥満を治すために、酸類、殊に酢を飲む人があるさうですが、これは実に飛んでもない心得違いです。医師について食物の相談をするのはよいが、素人考えの手治療はくれぐれも注意しなければなりません」 「第一に多くのものを食べぬことが肝要です。次に注意すべきは砂糖類をとらぬこと。パンや芋のやうな澱粉質をとらぬこと。甘い果物をとらぬこと。酒を飲まぬことです」
●明治 42 年『女学世界』 4 月号 医学博士・大森柳二 「毎日毎日同一の食物或いはよく似た食品を用ゐるがよい。併し、これでは飽きて困ると思ふなら、日本人として誠に容易で、且つ多くの人の嗜好物となつて居る漬物を副食物とするがよろしい。漬物なら大抵の人は毎日毎日続けて用ゐることが出来るであらう。これ以外には痩せるための食品といえば、昆布、わかめ、海苔等である。併し、ご承知の通りこれ等の食品は不消化物であるから、決して多食してはならぬ」 「太つた人は睡眠時間を減らして、 5 時間か 6 時間ぐらいにせよ」 「入浴回数を多くせよ」 「昔から呑気な人は肥えるとは、人のよくいふところであるが、これは事実である。心の持ち方によつて実際肥えたり、痩せたりするものである。故に痩せたいと思ふ婦人は、精神を労する必要がある。併し、単に精神を労するがよいといつても、その意味が明白であるまいが、数学の如き科学に依つて、難解な問題を試みたり、又は解し難い英文を翻訳して見る手段などはこの目的に対して有効な手段である。而してこの学科が終つたなら、直ちに庭又は郊外に出て、盛んに運動を行なふのがよろしい。次いで入浴をして食事をすると云ふ順序にせば大いに効がある」 「新聞紙上には痩せる薬の広告が出て居るが絶対的に信用することは出来ない。現今西洋で行なはれて居る信用ある痩せ薬と云えば、沃度知林であるが、これは一日に大人には三デシグラムを与へる、その翌日には六デシグラムを与へる、またその翌日には九デシグラムを与へる、と云ふ風に毎日増量をして行くのであるが、これを如何程迄増してよいかは、その人の体質にもよるから一応医者と相談するがよろしい」
●昭和 8 年『婦人公論』美容家・メイ牛山 「思いのまゝに痩せも肥りも出来る法 私こうして 10 日間に 10 ポンドやせました」 「昼食 - グレープフルーツ 1 個、夕食 - ひらめのフライ 1 皿、クラッカー 2 枚、アイスウォーター 1 杯」…というような西洋メニューをとりながらロシアダンスのポーズで数回部屋の中を歩く。 「この様に痩せたり肥ったりしようと試みることは、私の悪趣味かも知れません。ただし、美しい形を保つことは、洋装をせなる貴女方にとって絶対に好ましいことです。ただその為に何らかの参考になれば幸いです」
|
『タッパ−を11倍使いこなす本・改訂版』 ( No.13 ) |
- 日時: 2003/04/22 10:47
- 名前: ちんじゅう
- 『タッパ−を11倍使いこなす本・改訂版』
1989 年 9 月に出た同名の本の改訂版。改訂版は1995 年 12 月初版。 まったくなんの目的もなく図書館で借りてきた本。読みたかったわけじゃなく「11倍」というところにビビっとくるものを感じたのです。10倍じゃなく11倍なんですよ、心をゆさぶられるものを感じるでしょう? こんなの絶版に決まってると思ったら今でも入手可能だそうです。誰が買うんじゃ、こんな本?? まだちゃんと読んではいないのですが、タッパーというものは、アメリカのタッパーさんが考案したものだとか、知られざるタッパーの世界を垣間見られそうです。図書館って、ハズレをおそれずになんでも借りられて好き。
本の内容は、タッパーウェアの歴史を簡単に説明し、便利な利用法をどどーんと紹介したものでした。料理のレシピもいろいろ載ってますが、冷静に見ると「タッパーで保存してるだけで、作ること自体はタッパーとは関係ないんじゃん?」というようなのも多いです。でも、シソジュースを作ったり、味噌の仕込みもできますよ、なんてこと言われると、普段めったにやらないことが簡単にできるような気がして、タッパーに明るい未来を感じてしまうから不思議。
|
『タッパ−を11倍使いこなす本・改訂版』 ( No.14 ) |
- 日時: 2003/04/22 23:03
- 名前: ちんじゅう
- おぼえがき
タッパーウェアは 1945 年、アメリカ人の化学者アール・S・タッパー(1910〜1983)によって考案された密閉式プラスチック容器である。 タッパーウェアはタッパーウェア社の登録商標である。
発明の由来(伝説化していて、どれが本当かわからない) ・タッパー氏が煙草を保存するために発明 ・第二次大戦中の食糧難に苦慮する奥さんのために発明した保存容器 ・トマト好きだった奥さんのために発明
最初は値段も高く、まったく売れなかった。そこで、販売員が製品を持参し、魅力を説明しながら売る訪問販売を始めた。 その後、ダーインダストリーズ社がタッパーウェア社を買収、訪問販売方式を「ホームパーティー」方式に発展させた。1950 年頃のことである。
日本に入って来たのは 1963 年(昭和 38 年)、東京オリンピックの前年である。 発売開始当初は「ホームパーティー」方式で販売していた。 タッパーが欲しくなったら自分で説明会(ホームパーティー)を主催し、デモンストレーターを呼ぶか、近くで開催されるホームパーティーに出席する。ホームパーティーは販売員がお店ごと出張してくる説明会のようなもの。 ホームパーティーを主催する人(ホスト、ホステス)には売り上げに応じてタッパー製品等のプレゼントがある。
テレビや雑誌のコマーシャルに高峯秀子を起用し「あなたもタッパーウェアのホームパーティーに出てみませんか?」と宣伝した。 高峯秀子は滅多にコマーシャルに出ないことから「コマーシャル界の処女」と呼ばれていた。
--- そういえば昔はタッパーウェアがお店で買えなかったので特別な人が持っているような印象だった気がする。今は 日本タッパーウェア株式会社 からカタログを取りよせて通販もできるみたいだけど。 本の巻末には、デストリビューター(販売代理店)の一覧があって、今でも電話すればデモンストレーターを呼んでパーティーを開けるみたいな雰囲気だった。友達を呼び集めて説明会を開く方式は面白いけど、隣近所との付き合いが薄くなってる今だと、下手をすると変な商売と間違われて白い目で見られそう。そもそも、こういう方式は日本人にはどうよって気もするけど、これだけタッパーもどきが世に氾濫してるところを見ると、正しいタッパーウェアもかなりの人気だったのだろうと思います。製品が良ければ広まるものなんだと、ちょっと感心。
|
『迷信・俗信大百科』 ( No.15 ) |
- 日時: 2003/04/22 20:54
- 名前: ちんじゅう
- 『迷信・俗信大百科』
絶版というか、版元品切れなのかもしれませんが、現在は流通してないっぽいです。
タイトルの通りで、世界各国の迷信や俗信を集めた本です。図書館で借りてきたのですが、一気に読破するより思いついた時に思いついた項目について読むのが楽しい気がします。
|
『日本異界紀行』 ( No.16 ) |
- 日時: 2003/04/23 14:52
- 名前: ちんじゅう
- 『日本異界紀行』
石神井公園のワニ騒動を都市伝説として考察した「大都会ワニ伝説考」、某専門学校生の無記名投稿による怪談や都会に語り継がれる怪談を通して身近にある異界の入り口を示す「すぐそこにある異界」、日本各地にある霊山を紹介する「死霊の還る山」の三本立て。
「すぐそこにある異界」で、学生が無記名で語る体験談を読んでいると、『捜神記』や『今昔物語』のような古典を読んでいるような錯覚にとらわれました。あと 10 話語ると百物語になってしまうのでこれで終わりにすると締めているのもありがちではあるけれど面白く、残りの 10 話、自分の経験で補完して幽霊でも招いてみるかと記憶の隅をつついてみたくなる。
でもやっぱり面白いのは石神井のワニ。石神井公園は遠いので見に行くことはなかったけれど、あのときは大騒ぎでしたからねえ。
|
『「河童」を知れば日本の古代史がわかる』 ( No.17 ) |
- 日時: 2003/05/08 17:37
- 名前: ちんじゅう
- 文芸社『「河童」を知れば日本の古代史がわかる』
2002年に出た新しい本で 文芸社のサイト で通販もできるみたいですが、boople では扱っていないみたい。そういうこともあるのね。
日本古代史において、河童の登場とおもわれる部分について考察する本(他に小説「爺ちゃのはちみつ」「天草四郎時貞」を収録)。
文字が大きくて、書いてあることも文章的には難しくないのだけれど著者が「知ってて当然」と思っていることを知らないで読むと意味不明な点もあってちょっと悩む。
おぼえがき
●八代の津に上陸した河童
周の太王には太伯(兄)と季歴(弟)という息子がいて、季歴の息子である昌は、生まれながらに聖なる顔をしていた。そこで、太王は次男の季歴に周の国をつがせ、さらに昌に位を譲りたいと考えた。
そこで問題になるのは長男の太伯。父や弟に誅殺されることをおそれ、自ら髪を切りオカッパ頭になり、顔に入れ墨をして「王たる資格はありません」という態度を示した。
その後、太伯は呉という国をつくり、呉は越という国に滅ぼされる。越王については「越王の人と為り、長頸烏喙なり、與に楽を共にすべからず」(『越世家第十一』)という文章が残っている。口が烏のように尖っているのは歯の粒が大きくて出っ歯だという悪口だ。
越に国を滅ぼされた後、呉の太伯は日本に渡ったと著者は考えているらしい。その根拠として十六〜十七世紀に日本で布教していた宣教師たちが皆「日本は呉の太伯の子孫」と言っていることをあげている(なんかの文章をそのまま引用してるだけなんじゃん?)。
オカッパで文身(入れ墨)の太伯の渡来が、河童のもとになったのではないかと。なお、突然出てくる越王は出っ歯のくだりは、著者が「呉と越は同族」という説を支持していることから来るもので、ハッキリとは書かれていなかったが太伯も出っ歯だったんじゃないかと言いたいのだろうか。
烏喙に出っ歯という意味があるのなら、『山海経』にある「讙頭国はその南にあり、その人となり人面で翼があり、鳥の喙、いまし魚を捕う」というのも、魚食いの異民族が出っ歯であったということを言っているのだろうか。
●その他 『論衡』によれば、周の時代(紀元前十世紀ごろ)に、すでに倭人が来て暢草を献上したとある。このころの日本は縄文時代後期。
『魏略』の逸文には倭人たちが自ら「呉の太伯の後裔である」と言ったとある。
関連 >>31『論衡』
|
Re: 日々の読書 ( No.18 ) |
- 日時: 2003/04/24 15:41
- 名前: 涜神犯人 <adg@pmk.em.nttpnet.ne.jp>
- 一応、「化け物」と「古代史」に関係するので…
映画宝島Vol.2 怪獣学・入門! http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=07583959
この本(国会図書館では雑誌新聞に分類)の第一章『ゴジラは、なぜ皇居を踏めないか?』で説かれている「ゴジラ英霊説」が実際の映画『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』に取り入れられているようです
この映画は、珍獣様が連絡用スレッド http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/are/patio.cgi?mode=view&no=2 のNo.30記事で書いておられるように「にやっ」とさせられるところが何カ所もあって、この英霊説もその一つ、 この本を読んで件の映画を見ると、他のゴジラ映画と違い、蛮神の世界感で作られた映画で、ゴジラ退治は神殺しであり現代版八岐大蛇伝説であることがよくわかります
また、初版と二版以降では記事が差し替えられている箇所があるそうで… 詳しくは次のページ等をご参照ください
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kuririn/toku_003.htm http://www.bekkoame.ne.jp/~cokanba/data.html
我が家にあるのは第二版だから件の箇所は
佐々木が書いた『ウルトラセブン』第十二話「遊星より愛をこめて」は、諸般の事情で現在は封印されている。
とだけしか書いてありません。当然「幻の12話を20年間追い続けた男」は完全に削除されています。古書店に初版があれば絶対に「買い」です
|